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街全体が家族のような暮らし

-何もないからこそ感じられる人間味- 中澤 舞夕さん MAYU NAKAZAWA 2020年移住

働きやすい職場を探して

新潟市内の病院で生まれ、1歳までは上越市内にある母の実家で暮らしたという中澤さん。その後、群馬県の伊勢崎市で育ち、高校卒業後は東京の服飾系の大学に進学。入学当初はデザイナー志望だったそうですが、学び進めるうちに「つくる」ことへの興味が徐々に高まり、いつからか縫製工場で働きたいと考えるように。

「在学中に東京の縫製工場でインターンシップをさせていただきました。レディース用のジャケットなどをつくっている工場で、とても高価で、手の届かないようなブランドものをつくっていました。そのような職場は、夢に一歩近づいているし、いいかなと思いもしたのですが、つくっていて楽しくなかったんです。どうしてだろうと考えてみたら、人間味がなかったんですね。そこでコミュニケーションのとれる、あたたかい感じの工場を探そうと思うようになりました」。

そんな時、大学の進路指導の方がピックアップした会社の中にあったのが、美装いがらしでした。

2時間で帰郷できる好アクセス

「ブラウス工場として始まったというところに興味を持ったのが最初でした」。

現在、ブラウスづくりを起源とする工場はあまり残っておらず、日本では非常に珍しい存在。横浜で誕生し、ブラウスづくりをしていた美装いがらしが、新潟の最西端に位置する糸魚川市に拠点を移し、40年以上。現在は自社ブランド「ao」やOEM(他社ブランドの製品を製造すること)でレディース服の製作を行なっています。

「もともと古着が好きで、昔のブラウスは今と違って、襟が上に立っていたり、フリルがあったり、装飾がすごくかわいい。ブラウスから始まった会社だって分かって興味を持って調べ始めたら、自社ブランドの『ao』のブラウスが目に入ってきました。細かなテクニックがいっぱい詰まっていていいなぁって惹かれました」。

一方で、美装いがらしと同様に気になり、現地に足を運んだ工場が青森にもあったそうです。しかし、青森の工場は実家の群馬からの移動距離が長く、決め手としては交通アクセスが良いことが、糸魚川への移住を後押ししたと教えてくれました。

「北陸新幹線の存在は大きかったです。現在は新型コロナウイルスの関係で、ほとんど帰れていませんが、2時間強で実家まで帰ることができるというのは、糸魚川という場所を選ぶ大きな要因の一つでした。会おうと思えば、友達にも会いに行ける距離感ですし」。

自分自身と向き合う時間

中澤さんの勤める美装いがらしには約60名の方が働いています。そのほとんどは、もともと地元・糸魚川で生活していた方々。中澤さんのように若く、単身で移住してくるのは非常に稀なケースだそうです。

「最初は、会社で働く人たちに受け入れてもらえるのか、すごく心配だったのですが、そんな不安は無用でした。みなさん『1人で心細くないか』と心配してくれて、中には毎週一度ご飯を食べにお邪魔する祖母くらい年齢の離れた同僚もできました」。

同僚に恵まれたものの、東京での暮らしとのギャップに半年くらい悩んだこともあったと中澤さんは話します。 「東京は東京でなんでもありすぎて嫌だった。外食に行こうと思えば、どんなお店だってあるし、コンビニだってすぐに行ける。その時は、なんか違うなって思っていたんです。一方で、糸魚川にきたら、今度は何もなさすぎて、そんな環境にもう嫌い!と思うことも多々あり、最初は戸惑いましたが、いつの間にか、糸魚川の良さに気がついてきた感じです」。

自宅から徒歩圏内で行ける海岸は中澤さんのお気に入りスポットの一つ。砂利の海岸で石を拾い、波の音に耳を澄ませるうちに、心が洗われるといいます。 「糸魚川にきて、自分の生活を見直すことができました。自分自身と向き合う時間が増えたんです」。 海岸で過ごす時間は、今の中澤さんの生活の中でも大切にしている時間だそうです。

同期入社の青ダルマ

美装いがらしの応接室に飾られている青いダルマは中澤さんが入社時に持参したもの。

「群馬といえばダルマ。赤ではなく青にしたのは、会社のコーポレートカラーが青だったのと、自社ブランドの名前が『ao』だったこと。それと糸魚川の海をイメージして決めました」。

人間味にあふれている場所

「この場所はいい意味で時代が止まっている感じがするんです。普通に歩いていてみ知らないおじいちゃんから声をかけられたりするし、スーパーに行ったら、全員知り合いで、そこかしこでおばあちゃんたちが話し込んでいる。

人の温かい、昭和の時代というか、そんな雰囲気がこの土地はあります。会社も同様ですが、すごく人間味にあふれている場所だなって思います。こういう空気感じゃなければ、とっくに実家に帰っていたかもしれません」。 社会人2年目。キラキラとした眼差しが非常に印象的でした。