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長年の夢だった刃物職人に

-ものづくりのまちへ移住- 伊藤 闘意さん TOI ITO 2018年移住

幼いころからの憧れ

「幼いころ、通っていたスイミングスクールの帰りに馬具を作っているお店があったんです。かなづちでトンカントンカン、打っているのを何時間も見ていました」。

こう話をしてくれたのは、刃物メーカーとして有名な藤次郎株式会社で職人として働く、伊藤闘意さん。幼いころから職人、ものづくりへの憧れが強かったと話す伊藤さんですが、生まれも育ちも岩手県盛岡市。

どうして縁もゆかりもない新潟へやってきたのでしょうか?

偶然目にした求人情報をきっかけに燕市へ

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もともと料理に対しての興味が強かったと話す伊藤さん。小学校3,4年生のころには、料理をするだけではなく、道具のメンテナンスも自分でできるようになりたいと母親に包丁の研ぎ方を教えてもらったそうです。

「高校生の時には刃は付かないですが鉄のフラットバーを使ってナイフを作っていました。そのころ、デパートの催事でたまたま出会った包丁屋さんにいろいろ聞いて、催事の後も連絡をとり、4年くらいその包丁屋さんに通いましたね」。

高校卒業後、盛岡大学栄養科学部に進学した伊藤さんも気がつけば、就職活動をしなければならない時期に。栄養士として就職を考える一方で、幼いころからの憧れ・刃物職人になりたいという気持ちも芽生えたそうです。しかし、全国的にみても刃物職人を募集している会社はなく、半ば諦めかけていたそのとき、一つの求人情報に出会います。それが藤次郎でした。

「藤次郎の名前は知っていましたが、そこの包丁を使ったことはなかった。でも、迷いはありませんでした。だって、うちの会社(藤次郎)でナイフアトリエの職人を募集することは、非常に稀。僕が入社してからまだ一度も職人募集はありません。本当に縁だったと思います」。

偶然、目にした求人情報をきっかけに、就職の話は進み、伊藤さんは燕市に移住することとなります。

約1.5キロ圏内での生活

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「消雪パイプの影響で道路が茶色い。あとは側溝が開きっぱなし。バスも電車も少なくて、自動車以外での移動に難があるというのが燕市に来た最初の印象です。 そうは言っても、都会だと思いました。僕の地元は、盛岡のそこそこ田舎ですから」。

伊藤さんの移動手段は、もっぱら自転車。自宅、会社、スーパーマーケット、約1.5キロ圏内でほぼ生活が成り立っていると話す伊藤さん。

「趣味を仕事にしたようなものですからね(笑)。家にいてもものづくりをしているくらいですから、移動にはそんなに困っていないんです」。

包丁という作品

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現在、藤次郎で職人として働く伊藤さんは、アトリエと呼ばれる場所で、毎日、包丁づくりをしています。

「僕が在籍する部署は、量産型の包丁をつくるのではなく、職人が一本一本手作業で包丁をつくっています。自分でデザインした商品づくりも行っており、初めて自分の名が入ったナイフも2021年1月にオンラインショップに並びました。10本ほどつくったのですが、ありがたいことに即完売。うれしかった一方で、不安も大きかったです。お客さまに満足していただけるかどうかって」。

伊藤さんが刃物づくりで大事にしているのは、道具として使い勝手がいいこと。壊れないこと。

これを具現化した手づくりナイフの価格は約1万円。一般的にみるとやや高価な商品が価格に見合っているのか、一度使ったあと、また使いたいと思える出来になっているのか。その反応が分かるまで気が気でなかったそうです。

「でも、この不安は何度つくっても、ずっとなくならないと思います。僕達がつくっているのはどちらかといえば一点もの。毎度、作品づくりをしているようなものなんです。だから、その作品に対するお客さまの評価というのも常にある。緊張感にも似た感覚がなくなったらダメなんです」。

プロが集まるまち

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刃物職人歴4年目となった伊藤さんですが、仕事をしているうちに見えてきたものがあると教えてくれました。それは、燕市だからこその好環境。

「金属を加工したい。染色したい。刃物をつくっている中で出てくるそういった要望に応えてくれる会社がこの場所には密集しています。仕事をする上で、文句なしにやりやすい場所だと思います。 全国どの場所ででも刃物職人になれればいいと思っていました。しかし、たまたま入社できた藤次郎という会社が高い技術力を持つ会社で、その会社のある土地自体がものづくりに対する高い向上心と長い歴史のある場所だった。これは本当にラッキーだった。この燕で職人になれてよかったって思っています」。

これからもものづくりのまちで多くのものを吸収し、新しい、使いたくなるナイフづくりに挑んでいきたいと伊藤さんは続けてくれました。

便利だね

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自らデザインしたナイフを使った、祖父と母親の反応は「便利だね」だったそうです。「ナイフは道具です。また使いたいって思っていただけるようなナイフづくりをこれからもしていきたいと思います」。