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早くに親元を離れたからこその想い

-高校時代から思い描いた、新潟での就職- 清水 彩さん 清水 聡さん AYA SHIMIZU SATOSHI SHIMIZU 2021年移住

県外の高校へ進学

小学3年生のときからソフトテニスに打ち込んできたという清水彩さん。

「ソフトテニスがもっとうまくなりたいと思い、高校では三重にある強豪校へ進学することにしました。その後は東京経済大学に進学。大学でもソフトテニスを続け、最高成績は国体2位でした」。

お父様の聡さんは当時を振り返ってこう話します。

「いくら寮生活だとはいえ、15歳の娘を単身で送り出すのは、心配でしかありませんでした。新潟から三重には飛行機の直行便などもありませんでしたから、6~7時間かけて車でたまに会いに行く程度でしたね。大学生になる際、ソフトテニスの実績を活かし、選択肢の一つとして教員になってはどうか、という提案も娘にしたのですが、本人にその気は全くなくて。後にも先にも就職に関して口を出したのはその一回。あとは本人に任せることにしました」。

高校時代から決めていたUターン

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「三重県の高校に進学してから、就職は新潟でしようと決めていました」と清水さん。その理由は、離れてみて分かった地元の良さ。別の土地で暮らすからこそ、生まれ育った場所の過ごしやすさを知ったからだそうです。

「大学のソフトテニス部の監督から、私と同じように新潟にUターンして就職した先輩を紹介していただき、実際にどのような活動をされたのかなど、いろいろとお話を聞かせていただきました。そうしているうちに、銀行の営業職に興味を持つようになりました。もともと人と話すことが好きでしたし、いろいろな方と出会えそうな職業だな、と興味をもったんです」。

家族と一緒だからこそ

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2021年4月、清水さんは晴れて大光銀行に入社。見附市の実家から通える距離の支店に配属されたこともあり、現在はご両親と祖父母、5人で暮らしているそうです。

「現在は、主に窓口でお客さまとのやりとりをしています。銀行の業務の知識などを勉強して、いずれはお客様に親身になって寄り添えるマネーアドバイザーになりたいと思っています」(彩さん)。

「私も娘と同じ金融関係の仕事をしていますので、この仕事の難しさを知っているつもりです。時には大変な部分もあるだろうけど、15歳で単身寮生活を選んだ娘ですから、簡単に弱音を吐きはしないだろうなと思い、同じ家に暮らしてはいますが、できるだけ遠くから見守るようにしています」。

「それでも、入社してから約半年の間に2回ほど、肩を落としている姿を目にしました。1人で暮らしていたらきっと泣いているんだろうな、と感じるくらいの雰囲気でした。娘が実家生活をしているからこそ、声をかけてあげられる。そんな環境でよかったな、とそのときは思いましたね」(聡さん)。

「うちの両親は共働き。私を含め、平日は仕事があるのでバタバタしていますが、休日になると家族みんなが揃っていて団らんの時間がある。それだけで心が和みます。自分が働くようになって、両親のすごさを実感しています。父と母を見ていると、自分も頑張らなくては、と力をもらいます」(彩さん)。

ソフトテニスでリフレッシュ

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そんな清水さんのリフレッシュ方法は休日に行うソフトテニスだそうです。

「社会人になってからもソフトテニスは続けています。小学3年生のころから一緒にソフトテニスをしている友人が奇遇にも私と同じように地元で就職をしました。それもなんと同じ職種だったんです」。

「今は“柏崎トキめきクラブ”というクラブチームに2人とも所属していて、休日は一緒に練習をしています。練習以外でも同じ職種ということもあり、仕事の悩み相談なんかもしています。家族には話せないことを共有できる友人が近くにいてくれるというのは本当にありがたいことだなぁと思っています」。

娘にも「ずっと働ける環境」を

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最後に清水さんのお父様に娘さんのUターン就職、実家生活についてお伺いしました。

「中学生のころは、親に反抗するのが一つの仕事みたいなところがあると思います。ですが、私たち親子はたまたま多感な思春期を一緒に過ごしませんでした。娘も成人した今、大人の接し方ができているのはそのおかげなのかもしれないと、娘が実家に戻ってきてから思うようになりました」。

「この先、転勤などで、家から通えないことになるかもしれません。結婚をして、家を出ていくこともあると思います。ですが、私としてはできるだけ近くで助け合っていきたいと思っています。私の両親が娘の面倒を見てくれたからこそ、私も妻もずっと仕事を続けることができました。私が両親にしてもらったように、娘にもずっと働ける環境を整えてあげたいですし、いざというときに助け合える関係でありたいと考えています」。