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地域に寄り添った仕事をしたい

-生まれ育った新潟への恩返し- 鈴木 啓予 HIROYO SUZUKI 2022年6月取材


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とっぴー

社会人になるまでの経歴を簡単に教えてください。

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鈴木さん

2000年3月に新潟県村上市で生まれました。 3歳まで村上市で過ごし、新発田市に引っ越した後、高校は新潟市内の新潟明訓高校に進学しました。 創作ダンス部に所属し、1年時には全国優勝も果たしました。 小学生の時に出会った先生に憧れ、小学校の先生になりたかったこと、ダンスを続けたかったことから、 全国でもトップクラスの創作ダンス部がある、横浜国立大学教育学部に進学。 教育を学びながら、ダンスでは全国ベスト8を記録しました。


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とっぴー

小学校の先生の夢が、新聞記者に?

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鈴木さん

コロナ禍で様々な情報に触れたことがきっかけです。 大学3年時にコロナが蔓延し始め、実家に長く滞在するようになりました。 そうした中で様々な情報に触れる機会が増え、教員の道だけでなく、もう少し広い視野で自分の将来を考えるようになりました。 新聞記者という仕事を知ったのは、弊社のインターンシップに参加したことがきっかけです。 教育に対する行政の取り組みに対して自分が興味を抱いていることや、人口減少など新潟が抱える問題が多々あることなどに気づき、 また、高校の部活動で記者の方から取材していただいた思い出などもあり、地元新潟で新聞記者になりたいと思うようになりました。 私一人の力は微力かもしれませんが、地域に戻ってくることで、少しでもできることがあるのではないか。新潟の人に寄り添いながら物事を伝えることに魅力を感じました。


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とっぴー

新潟での就職を目指すにあたり、行なったことはありますか?

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鈴木さん

横浜に戻ってからも、実家からお米などと一緒に過去の新聞を送ってもらい、紙面を読むようにしていました。 新潟での就職を希望するのであれば、新潟の情報をキャッチしておくことは、必須だと思います。ちなみにこの習慣は、新聞記者になった今でも非常に役立っています。 現在では新潟日報だけでなく、可能な限り各社の新聞も目にするようにしています。


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とっぴー

現在のお仕事について教えてください。


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鈴木さん

私は新潟市政担当として、新潟市役所内の市政記者クラブに勤務しています。 文化とスポーツ、国際観光、教育の分野を担当しており、毎朝各部署を周りながら記事にする情報を得ています。 また、中央区と東区、西区のイベント情報も担当しています。私が入社後初めて担当した記事は、中央区の「いくとぴあ食花でヤギの赤ちゃんがたくさん生まれました」という記事でした。 出来上がった記事を実際に手にした時は、自分の仕事の責任の大きさを実感したのを覚えています。


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とっぴー

お仕事面での目標を教えてください。

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鈴木さん

より多くの角度から物事を捉えた記事を書けるようになりたいです。 例えば観光の分野でいえば、新潟市を豊かな街にしようと、行政の方々がさまざまな施策に取り組まれていることを知る機会は普段からあるのですが、 民間の取り組みや地元ならではの情報など、まだまだ知らなければいけないことがたくさんあると感じています。 私自身、もっと人脈を広げて広く情報を拾えるようになり、多角的な視点を持った記事を発信できる記者になることが今後の目標です。


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とっぴー

休日はどのように過ごしているのですか?

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鈴木さん

時間が不規則な仕事柄、普段なかなかできない買い物や家事全般をこなしています。 また、休日実家に帰る際には、職場のある古町を歩いて出会ったケーキ屋さんで、よくケーキを購入して帰ります。 祖母とケーキを食べながら、「この記事が私の取材したもの」と話す時間が貴重な安らぎの時間です。 私の記事を見る祖母の笑顔が、私の仕事へのモチベーションですね。


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とっぴー

新潟で就職を希望する人たちにアドバイスはありますか?

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鈴木さん

私は仕事を通じて、新潟には地域に貢献したいという想いを持った企業が数多くあることを知りましたが、企業研究を通じ、もっと早く新潟の企業を知ることができていたら、 選択肢がさらに広がっていたかもしれないと思います。また、私は大学3年生の夏ごろから就職活動をスタートしましたが、自己分析にももっと早く取り組めていればよかったなと思います。 どんな社会人になりたいのか、自分のことを分かっていると、自分の興味のある企業や業界を知ることにより多くの時間を注げるようになると思います。